子どもとの時間を取り戻すために その2                我が子に会えないある40代男性当事者の思い

2014年02月02日 12:21

親権者でありながら子供に自由に会えない期間が2年以上経っている状況で、今までにあったこと、これから父親としてどうすべきか頭を整理しているところです。夫婦間のもつれから突然子供に会えなくなる、いわゆる連れ去り問題の当事者と認識するようになって随分と時間が流れました。夫婦間のケースは多岐に渡ることから具体的な解決策も見えず、自分の足で稼いだ情報の中から自分の行動軸に合う情報を取捨選択し、行動してきました。その行動が即効性のある効果があったか否かは明確には伝えられないですが、子供を持つ父親として気持ちに変化が出てきたのは事実です。

一番気持ちの変化があったことは「働くことの意味」です。妻子が目の前からいなくなると、どれだけ家族の為に真剣に働いてきたのか見つめなおすことがたくさんありました。胸をはって真剣に働いてきた、家族を養うために大黒柱として一生懸命に働いてきたことは自負しているため、そのぶん働く意味がわからなくなり半年以上身体が動きませんでした。その状況で、相手方とのやり取りはもつれにもつれ、子どもにも会えないため、如何にして法を変える動きをするのか、相手方の落ち度を如何についていくのか、「極めて強い怒り・憎しみ」を軸に攻撃することばかり考えていたこともありました。

しかしながら、そんなことよりも、子供を持つ父親として、経済的自立をすることが不可欠であることに気づき、布団に入ると起き上がれなかった時期を何とか脱することができました。子供が日々成長していることを見ることができない辛さをひたすら悲観するのではなく(実際には猛烈に悲観しましたが....)、成長した父親をいつか見せてやりたい、いつか「パパって凄いんだね」「パパの子供で良かった」という言葉を自然と言ってもらいたい、その気持ちだけで復職することができました。今では仕事面では人脈にも恵まれ、非常に充実した日々を送っています。一歩前進できているのではと感じることもあります。

裁判を実際に傍聴したり過去の判例などを読み漁ると、家族を養うだけの充分な財力が無いことや稼いでもひたすら浪費癖があるとか、そんなことが夫婦喧嘩の一要因になっていたのではないか疑問におもうに至りました。何かと理由をつけて長期間働かない、経済的な支援を無くす(婚姻費用/養育費を渡さない)するような当事者の実態があることも知りました。そんな状況で相手をひたすら攻撃して親権も取り、養育もするといった主張ができるはずもありません。まずはしっかり「はたらこう。」、そしてプライベートの時間を削るだけ削って子供の幸せを考える時間に使おう、「死ぬほど頑張ったって死ぬことはない(そんな人間はヤワじゃない)」そんな気持ちになることができました。もちろん相手方への不満はたくさんあります、法の不備に対する怒りもあります、でもそれ以上に「今の自分が胸をはれる父親として機能しているか」「機能していないなら何を最低限しなきゃならないのか」、それを突き詰めることに時間を費やすようになりました。

そうなってくると、心にも変化が出てきて、仕事面でも私の周辺に人が集まってくるようになりました。

心が変われば態度が変わる
態度が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる


よく聞く名言ですが、ほんのちょっとだけ意味がわかってきた気がしています。

●●ちゃん、パパは会えるときを楽しみにしています。
めいっぱい成長しておくね。

パパ